無農薬 玉ねぎ

東京のヘソにある神秘の畑、大平農園とは【有機農法のパイオニア】

                                   
学び
公開日時:2021/07/13
 
更新日時:2021/07/14
                       

都内屈指のファッショナブル・タウンと言われる東急線自由が丘駅から2駅目、そして人気のニコタマこと二子玉川駅まで三つ目の尾山台駅。

ここから徒歩十分足らずの場所、世田谷区等々力に東京23区で最も広い、約二千坪の耕地面積を擁する大平農園がある。

大平家は江戸期から続く四百年を越える農家で、ここでつくられているのは農薬と化学肥料を一切使わない野菜である。

東京都世田谷区 大平農園

大平農園の歴史

ハウス栽培

大平農園は戦後の1950年代にハウス栽培をはじめている。季節に先駆けて収穫される野菜は5,60年前にはまだ珍しかったから、しっかりと値が付き人気もあった。

そして、この新しい農法を学ぶために、篤農家の声望が高かった10代目当主のもとには全国から見学者が集まってきた。

無農薬栽培への決断

無農薬への決断

ビニールハウス栽培では、露地よりもはるかに多く害虫が発生してしまうので、収穫量と質の確保のためにと大量の農薬を使う。従来のように畑で撒かれた農薬は、少なくとも短期的には人体に影響を与えない。薬は空中に飛散し土中に浸透する。殺すのは虫たちだけである。

しかしハウスの密閉空間で散布される農薬は常に滞留し、人もまた絶えず吸い込むことになる。ハウス栽培のパイオニアだったということは、農薬の人体への影響に関するデータもなかったのである。使用者に深甚なダメージを加える可能性は公には認識されていなかった。

やがてハウス内の農薬散布の弊害があらわれてくる。当主が体調に異変を感じるようになったのである。大量散布した後は、1週間ほどめまいや吐き気が止まらず、耳鳴りも続いて動けなくなってしまうのだ。だから、農薬の恐ろしさは身をもって知っていたのだが、虫食いのない「きれいな」野菜をつくろうと、一層危険度が強い農薬を使ったのだ。

癌の家系ではなかったが、先代は胃癌に侵され、一年半ほどで他界してしまった。先代の娘で現当主、美和子さんのご主人も農薬障害に悩まされていた。

大平家

健康に関わる影響が明白である以上、農薬は一切使うべきではない、と大平家の人々は決断する。使用者の自分たちは短期間に大量だったからかもしれない。しかし、農薬を使った野菜を食べ続けても人体への影響はないとされていても、数十年後が明確に証されたわけではない。生産者こそ、自身と消費者の行く末に責任を持たなければならないのだ。1968年のことで「有機農法」という言葉が生まれる前である。

大平農園の有機農法

無農薬 虫たち

無農薬の野菜畑は、当然のことながら、虫たちの宴会場に他ならない。はびこり、食い散らかす。無農薬へ切り替え後の畑は、しばらくの間、まともな収穫はなかった。頼るは人の手だけなのに、手の施しようがない事態だったのである。できるのは時間をかけて、一つひとつの難問に向き合うことである。人力、知力、さらに害虫を食べるテントウムシやヒキガエル、鳥たちの力も助けとなる。土も時間をかけて手づくりする。

晩秋、屋敷を囲む欅の大樹から降り注ぐ落ち葉は日々集められて集積所に積み置かれ、数年を経て豊かな腐葉土となる。落ち葉の山に手を差し入れると、その熱に驚かされる。肥料による栄養補給ではなく、土そのものを逞しくするのである。剪定された枝もチップにされ、時間をかけて完熟堆肥となる。畑の手伝いの方は個々の都合に合わせ、毎日通ってくる人もいるし土日だけの方もある。

有機農法を選んだ新生大平農園が着実に成果を上げているのを知った人たちが、ハウス時代にも増して、学びに訪れてくるようになった。延べ200人ほどになり、その二割近くが各地で就農しているという。そのまま続けている人、撤退した農園、様々である。必要条件を満たすのは簡単ではないし、思いを後ろ支えする定期的な消費者が存在しなければ、片肺となり息切れしてしまうだろう。

様々な困難に直面しながら40数年有機農法を続けてこられたのは、大平さんの確固たる意志と、その思いに共鳴して畑の担い手となった人たちがいるからであり、その生産者の思いに応える消費者が集まりグループをつくって継続的な購入者となって支えてきたからである。ゆるやかな息の長い協同が持続の要となった。

大平農園を支える若葉会

若葉会と名付けられた会員たちは、毎週、火曜か金曜のどちらかに収穫物を受け取る。配達もあるが、出荷日に農園まで取りに来るのが基本なので、会員の居住範囲は遠地にはない。分けられた野菜はすべて各戸が購入する。何がくるのかその日まで分からないが、掛け値なしの旬の野菜を口にできるのである。

無農薬野菜

大小いびつは一切問わない。届く野菜は洗ってあるけれど、わずかながら泥は残っている。たまに、有機の証明、虫も出てくる。味は購入者が例外なく賛辞を贈る。葉物はやわらかく、トマト、キュウリなどは味が濃い。

りんごやみかん、米、お茶などは各地の有機農法の契約農家に事前に申し込んでおく。こちらも、先方の収穫時期次第なので、いつ貰えるかは分からない。農園では野菜以外に蜂蜜を注文できる。農園の一隅に養蜂家が巣箱を置いていて、蜜を集めている。届いた蜂蜜のラベルには「生きてるハチミツ」とあり、主な蜜源はモチノキ。蜜蜂の仕事に何も加えない純粋蜂蜜である。

野菜の受け取り

代金徴収は月一回、農園に出向いての手渡しで、振込は受け付けない。生産者と購入者はいつも顔と手を合わせているのである。

大平農園のこれから

ナスの畑

大平農園は先端の有機農法を取り入れながらも、いくつかの「旧法」を守っていて、今でも農事暦をもとに「卯の日」の種まきは避けているし、初採りは大安を選び、神棚仏壇に供えている。有機農法は科学に裏打ちされた自然との直接的な交感だから、昔からの言い伝えが理にかなっていることも少なくないのだろう。

長く続いたことで否応なく生じる課題、それが担い手である。担い手の両輪、生産者と消費者双方が高齢化に直面している。それでも、生産側は徐々にバトンタッチが進んでいるようだが、近隣を中心とする消費者の数は、住まい方や家族構成など、個々の事情の変容に応じて減っていく傾向は止まらないだろう。農園に関わるすべての人たちが、これまでのように無理押しせず協同で、その時その時の最良を選んでいくにちがいない。

無農薬

ビニールハウス

保存樹木

大平農園

『大平農園 401年目の四季』

東京・世田谷、住宅が立ち並ぶ一角に農地が現れる。400年続いている大平農園だ。
篤農家だったからこそ近代農業をいち早く取り入れ、先々代、先代(大平博四)とも農薬禍にあう。まだ有機農業という言葉のないころ、博四さんの義母の「江戸時代のやり方にすればいい」の一言で、農薬や化学肥料を一切使わない農業に切り替え、その技術を普及する努力もしてきた。
博四さんの妻の美和子さんが農園を引き継いでからも若いころ研修生だった波多野清さんを中心に、たくさんの人たちが畑にやってきて週2回の出荷を続けている。野菜をつくる人、食べる人、学ぶ人、学んだ人、集まってくる虫や草や鳥などすべての生きものが有機的につながっている空間。そんな1年を記録した。


2018年/64分 日本語
監督:森信潤子 / 制作:バク

木林文庫

記事一覧をみる
学びの記事をもっと読む
関連タグ
関連記事

まだデータがありません。

よく読まれている記事
新着記事
#人気のタグ